解放-ワンネスディクシャNL26号から
2012年 05月 09日
ワンネスユニバーシティのボランティアの翻訳チームに入っています。
そのお仕事に、daily teachingやニュースレターの翻訳というのがあります。
忙しいときに、しかもボランティアで引き受けるのはなかなか勇気がいるものですが、訳すたびにいろいろな気づきがあります。
今回、ニュースレター26号を翻訳させて頂きました。
素晴らしい話ばかりなのですが、その中から一部をご紹介します。
ちなみに、ここで言われている「ディクシャ」とは、知性を持ったエネルギーのことです。
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Oneness University News Letter vol.26
Peek Inside 内観
(ワンネスユニバーシティでのシュリバガヴァンのダルシャンから抜粋)
質問:ディクシャがさらにパワフルに流れるためには、どの教えが役に立ちますか?
シュリバガヴァン:「最初のステップが最後のステップ」です。
もしあなたがこの教えを理解することができれば、ディバイン(神聖なるもの・神・創造主)のエネルギーはあなたにくまなく流れるでしょう。
あなたがそれやあれになろうとするのを止めれば、ディバイン(神聖なるもの・神・創造主)があなたを乗っ取るからです。(訳注:あとは引き受けてくれる、という意味)
あなたが変わる努力をし続けると、あなたは決して変わりません。変わることは不可能だということが、間違いなくあなたを打ちのめします。
そこに嫉妬があるとしたら、嫉妬でないものになりません。嫌悪は愛になりません。
ですからあなたができることは、ただ自分の嫉妬に気づき、自分の嫌悪に気づき、自分の恐れに気づき、自分に愛が欠如していることに気づく。
何に対しても、それだけなのです。
「ものごとのあるがままに気づく」ことが「瞑想」です。「ものごとのあるがままに気づく」ことが「プロセス」です。「ものごとのあるがままに気づく」ことが「最初のステップが最後のステップ」ということなのです。
それ以外のことは、すべて自動的に起きます。
ですから、もしも苦しみがあれば、あなたはその苦しみから逃げようとするべきではなく、その苦しみに気づいているべきなのです。
そうすれば、起きるはずのことは自動的に起きます。
もしも苦しみに説明を加えようとしたり、理解しようとしたり、正当化しようとすると、あなたはどこにも行けません。
もちろん、少しの間は苦しみから逃れることが出来るでしょう。例えば携帯で話す、映画を見に行く、小説を読む、あれこれ何かする、友達と話す。そうやって、少しの間だけ苦しみから逃げるのです。
私たちはあなたが自分の苦しみから逃げることに反対はしません。でもそれはファーストエイド(応急処置)のようなもので、短期間の対応策にしかなりません。
最終的に、あなたはその苦しみと向かい合うことになります。説明しようとすることなしに、理解しようとすることなしに、正当化しようとすることなしに、苦しみと向かい合うのです。それはつらい痛みをともなうものになるかもしれません。
でも、その痛みそのものが、あなたを解放するのです。それだけでなく、アウェイクン(覚醒)する可能性もあります。
ですので、そのようなかたちでの苦しみは、最も歓迎されることです。
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ワンネスユニバーシティのシュリバガヴァンは、「苦しみから逃げようとする、それこそが苦しみだ」と言っています。「もしも、苦しみから逃れたかったら、その苦しみに向き合いなさい」と。そして、その苦しみのことを、後ろから追いかけてくる虎にたとえます。虎から逃げようとして、私たちは苦しみ恐れ続けるのです。それならば、逃げるのをやめて「虎に食われなさい!」と言っています。
「最初のステップが最後のステップ」。
もしも虎に向き合って、虎に食われれば、すべては一瞬にして終わる…というわけです。その先にあるのは、大いなるものへのゆだね、なのです。
そのお仕事に、daily teachingやニュースレターの翻訳というのがあります。
忙しいときに、しかもボランティアで引き受けるのはなかなか勇気がいるものですが、訳すたびにいろいろな気づきがあります。
今回、ニュースレター26号を翻訳させて頂きました。
素晴らしい話ばかりなのですが、その中から一部をご紹介します。
ちなみに、ここで言われている「ディクシャ」とは、知性を持ったエネルギーのことです。
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Oneness University News Letter vol.26
Peek Inside 内観
(ワンネスユニバーシティでのシュリバガヴァンのダルシャンから抜粋)
質問:ディクシャがさらにパワフルに流れるためには、どの教えが役に立ちますか?
シュリバガヴァン:「最初のステップが最後のステップ」です。
もしあなたがこの教えを理解することができれば、ディバイン(神聖なるもの・神・創造主)のエネルギーはあなたにくまなく流れるでしょう。
あなたがそれやあれになろうとするのを止めれば、ディバイン(神聖なるもの・神・創造主)があなたを乗っ取るからです。(訳注:あとは引き受けてくれる、という意味)
あなたが変わる努力をし続けると、あなたは決して変わりません。変わることは不可能だということが、間違いなくあなたを打ちのめします。
そこに嫉妬があるとしたら、嫉妬でないものになりません。嫌悪は愛になりません。
ですからあなたができることは、ただ自分の嫉妬に気づき、自分の嫌悪に気づき、自分の恐れに気づき、自分に愛が欠如していることに気づく。
何に対しても、それだけなのです。
「ものごとのあるがままに気づく」ことが「瞑想」です。「ものごとのあるがままに気づく」ことが「プロセス」です。「ものごとのあるがままに気づく」ことが「最初のステップが最後のステップ」ということなのです。
それ以外のことは、すべて自動的に起きます。
ですから、もしも苦しみがあれば、あなたはその苦しみから逃げようとするべきではなく、その苦しみに気づいているべきなのです。
そうすれば、起きるはずのことは自動的に起きます。
もしも苦しみに説明を加えようとしたり、理解しようとしたり、正当化しようとすると、あなたはどこにも行けません。
もちろん、少しの間は苦しみから逃れることが出来るでしょう。例えば携帯で話す、映画を見に行く、小説を読む、あれこれ何かする、友達と話す。そうやって、少しの間だけ苦しみから逃げるのです。
私たちはあなたが自分の苦しみから逃げることに反対はしません。でもそれはファーストエイド(応急処置)のようなもので、短期間の対応策にしかなりません。
最終的に、あなたはその苦しみと向かい合うことになります。説明しようとすることなしに、理解しようとすることなしに、正当化しようとすることなしに、苦しみと向かい合うのです。それはつらい痛みをともなうものになるかもしれません。
でも、その痛みそのものが、あなたを解放するのです。それだけでなく、アウェイクン(覚醒)する可能性もあります。
ですので、そのようなかたちでの苦しみは、最も歓迎されることです。
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ワンネスユニバーシティのシュリバガヴァンは、「苦しみから逃げようとする、それこそが苦しみだ」と言っています。「もしも、苦しみから逃れたかったら、その苦しみに向き合いなさい」と。そして、その苦しみのことを、後ろから追いかけてくる虎にたとえます。虎から逃げようとして、私たちは苦しみ恐れ続けるのです。それならば、逃げるのをやめて「虎に食われなさい!」と言っています。
「最初のステップが最後のステップ」。
もしも虎に向き合って、虎に食われれば、すべては一瞬にして終わる…というわけです。その先にあるのは、大いなるものへのゆだね、なのです。
by athaneia
| 2012-05-09 22:52
| ワンネスディクシャ