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それぞれの山、それぞれのパラダイム

約1か月前に、mixiにアップした日記を、ここに再アップします。

その後も、パラダイムについて様々なことが起きました。
その一つひとつが、とても大切です。
ありがとう。

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アナトミー受講後、1カ月たちました。
終了したというのに、毎日アナトミーの連続のようにいろいろなことが起きて、
掘り下げとクリアリングは延々と続いています。

その間ずっと私のテーマの基底にあったのは、「私たち一人ひとりが抱えるパラダイム」のことです。

パラダイム=「範例などと訳されるのかもしれませんが、私のイメージではa world view underlying the theories…つまり、その人その人の世界観というもの」。

私は、シータヒーリングを始めたばかりのころ、シータヒーリング前日本代表Hさんにリーディングしていただいて、「真実を先読みして、フライイングしてしまいがち」と言われました。

確かにそうでした。
だから、友人とどんなに親しくなってもできるだけ見えてることや本当のことを言わないというのが、自分の習い性になっていました。真実を言わないために、煙幕みたいにたくさんしゃべったり、おどけたりもしていました。

でも、シータを学び始めてから、私はどんどん真実しか言えなくなっていました。特に信頼している相手には。

ところで、真実ってなんなんでしょう。
それとパラダイムの存在の関係が、このところの私が考えていることで、かつこの1カ月に起きたいろいろなことに集約されていたと思っています。

以前、大河ドラマ「篤姫」を見ていた時、篤姫の養父・島津斉彬が「正論は人を傷つける」と言った言葉に、ハッとしたことを覚えています。

真実を、正論と関連づけるのは、私のパラダイム。
でも、真実だからといって、誰でもそれを受け入れられるかどうかわからないわけです。むしろ傷つけてしまうことのほうが多いのかも知れない。だからこそ、シータの掘り下げは存在の根源の愛をもってするのが前提です。

それは、自分に対してもそうで、自分の真実が自分を傷つけることもある。(抽象的でごめんなさい。私の中でもすごく抽象的なのです)


先日の基礎DNAセミナーの際、改めて、ヴァイアナが真実の法に出会った話を受講生さん達に紹介しながら、「いつもこの話を聞く度に思うことだけれど、この話の本当の意味はなんだろう」と思いました。

シータヒーリングをご存じない方には、なんなのかさっぱりわからない話で申し訳ないのですが、要するに、シータヒーリングの創始者が、周囲の人の一番暗くて一番隠したいと思っている真実をすべて知った(見せられた)あとで、この世に絶望しかけるのですが、その後で今度は、自分自身の真実を見せられるという話です。

階層紹介の序論になるんですが……この話をすることで、ヴァイアナは何を言いたかったのだろうと思ったのです。

そういう法則があるのよ、ということではなくて。それ以外の何か。

たぶんですが、それぞれの人のパラダイムに気づきなさいということだったのかなと思い始めています。それは、いろいろな人のパラダイムであり、私自身のパラダイム。そして、それをジャッジすることなく尊重しなさい、愛を持って見守りなさい…ということだったのかなと。

掘り下げ・クリアリングということを繰り返していると、パラダイムは時にブレインキャンディで組み立てられた大きな建物みたいに見えてくることがあります(少なくとも私には)。だから、可能ならそれがないほうがラクだよと、誰にも教えてあげたくなります。

でも、そういう視点自体、私のパラダイムで、私のブレインキャンディなのかもしれません。
その視点からでは、自分のことも、他の人のことも、起きている現象のことも、現在の人間関係も、それ以外のすべてをもジャッジしてしまうことになるんだなあと、このところ感じています。

また、自分はジャッジしているつもりはなくても、
ジャッジされてると感じるのは他の人の自由意志です。


でも、これに気づけたことはすごく大きくて、初めての基礎DNAセミナーを開催する前に、私にはどうしても必要なことだったみたいです。だから、この学びを与えてくれたすべてのものに感謝しています。

ところで先日、地元の小さな山に一人で登りました。
小さい頃に何度も登った山。私が初めてUFOを見た山でもあります。
不思議なくらい、いろんな岩や小道の場所を体が覚えていて、わずか1時間半程度の山登りでしたが、充実感と安堵感がありました。

そこで、ふと、パラダイムって、それぞれの人の山のようなものかなと思いました。
それぞれの人が登っている、それぞれの人の山(心の中のものですよ。念のため!)。
端から見たら、登り方が危なっかしかったりしても、それぞれの山を登るその人になり代わることはできません。その人自身を信頼して、あとは、私は私の山を登るだけ。
そんなふうに感じました。

今、それぞれの山を登っているシータ仲間達、そしてたくさんの友だちを思いながら、これを書いています。
それぞれの勇気を称えて、いつか「good job!」と言い合える未来に向けて。そして、この曲を。


by athaneia | 2009-10-25 17:00 | シータヒーリング一般

今を生きる。もっと喜びの中に。もっと愛の中に。もっと自由の中に。希望と笑顔があふれだす今を。


by athaneia